事実、Aさんの歯はまっ白で、きれいに光っています。にもかかわらず、これまでも たびたびムシ歯に悩まされてきたのです。
今日から、「歯を磨く」という今までの考え方は全部忘れていただき、あなたの歯の健康を守る生活の第一日目を始めましょう。歯を磨きなさい、とよく言われますが、だからみんな歯ブラシでゴシゴシこすって、それでムシ歯を防止できると考えてしまいます。まるで靴でも磨くように、歯をまっ白にすることばかりを考えます。「磨くという考え方を改めてください」というのは、そのためです。
顕微鏡をとり出してきて、ツマ楊子のようなものでAさんの歯の間からこすり取ったものを、顕微鏡のグラスの上に置きました。それをのぞき込んだAさんは、思わずビックリしたような声をあげました(だいたい皆さん驚きます)。
そこには、細菌がウヨウヨと動いています。それは、Aさんの口の中の食べかすが腐敗したもので、ブラック(歯垢)
と呼んでいますが、細菌のかたまりです。このプラックは生きていますのでいくら歯を磨いても、この細菌のかたまりを完全に取り除かない限り、ムシ歯はなくなりません。
今度は、Aさんの歯に着色剤を塗りました。歯と歯ぐきの境い目、歯と歯の間の部分、奥歯のみ合せのミゾのあるところに、パーッと赤い色が広がります。赤くなったところにプラックがついている箇所です。それを見れば、どんなところに細菌のかたまりが付着しているか分かるう。これらがムシ歯や歯槽膿漏を作るのです。
口の中はバイ菌がいっぱい
口の中は、実は汚ないところなのです。
誰でも口の中には、無数の細菌がいます。普通、1ccのダ液の中には
およそ55億の細菌が生きており、これは糞便の中の細菌の数にも匹敵するぐらいです。
[本文にもどる]
これらの細菌のうちストレプトコッカス・ミュータンスという連鎖球菌が、どうやらムシ歯の原因らしいと思われます。このミュータンスは食べ物を分解して「デキストラン」という歯によくくっ付くネバネバしたものを作ります。これをそのまま放っておくと、その中に糖分をとり入れて、ネバネバはだんだん増えていき、プラックとなります。
このプラックの中では、細菌が糖分を分解して酸を作りますので、固い歯の表面も酸におかされてしまいます。また、そこで作り出される毒素(トキシン)によって、歯ぐきに炎症が起こります。これが、ムシ歯や歯槽膿漏というわけです。
歯ぐきがただれている人がいらっしゃいます。歯ぐきというのは鈍感なので、最初のうちはあまり気づかないのですが、口を開けて鏡を見てみるとよく分かります。歯ぐきの先端が赤くただれているのはブラックのせいです。
歯槽膿漏については、病状が進んでしまったらどうしようもありませんが、
初期の段階なら、歯ブラシを使うことによって、健康な歯ぐきをとり戻すことは可能です。つまり、ムシ歯を防ぐのと同じように、プラックを完全に取り除くことが大事です。それができないで、どんなに高度な手術をしてもまったく意味がありません。
欧米の何人かの歯科医師の研究によれば、プラックは食後24時間ぐらいでできあがり、歯を溶かしていきます。そして、砂糖分が口の中に入ると、1分以内にブラックの中に浸透して酸度が高くなり、ますます歯を溶かしていきます。また、ブラックが歯ぐきに2,3日ついていると、歯ぐきから出血することもわかりました。それは、プラックが歯ぐきの表皮を破壊するからです。おどろくべきことに、プラックを1日に一度完全に取り除くなら、いままで出血していた歯ぐきからは血が出なくなりました。というのは、プラックが取り除かれると表皮が再生するからです。歯ぐきから血が出るということは、プラックがついているという証拠にもなるわけです。(Dr.バース、Dr.アーニム、
Dr.リー)
つまり、プラックという生きた細菌のかたまりを完全に取り除けば、ムシ歯や歯槽膿漏を防ぐことができます。また、肝心なのは、現在、ムシ歯や歯槽膿漏に侵されている人も、ブラックを取り除くことによって、これらの病気をストップさせることができるということです。
プラック(歯垢)退治の唯一の方法
ではそのプラックを完全に取り除くことなどできるのでしょうか。
「歯を磨く」というのではダメです。磨くというのではなく、口の中の生きている細菌とたたかってほしいのです。歯と歯の間、歯と歯ぐきの間、奥と歯の咬み合せの部分などにブラックがたまりやすいのです。これらの部分がムシ歯になりやすいことからも、そのことがよく分かります。これらの部分をよく取り除くことが大事です。
第一は、歯ブラシの使用。
使い方は、ブラックが取れればどんな方法でもよいのですが、バス法というのがあります。
これは、まず歯ブラシの毛先を歯と歯ぐきの境い目に45度の角度で当てます。
そして、毛先が歯と歯ぐきの間に少し入るように、ちょっと圧力を加えます。毛先の位置を動かさないように、細かく円を描いて歯ブラシを動かします。
歯と歯ぐきの間の汚れを取り除く目的で使われるのが、このバス法ですが、毛先の硬い歯ブラシを使うと歯ぐきを痛めますので、「それに合った歯ブラシを使ってください。
第二は、フロス(糸)の使用。これは、歯と歯の間の汚れをとるために使います。つまり、歯と歯の間にフロスを通し、前後に動かすことによってプラックや食べかすをこすり取るわけです。
プラックがすくなくなると、キュッキュッという音がしますからよくわかります。歯ブラシを使うだけでは、プラックは25%しか取り除かれません。残りの75%はフロスを使わないと取れません。
これだけを毎日、キチンと実行すれば、プラックは完全に取り除けます。いいかげんに一日三回の歯磨きをするよりも、一日に一回完全にプラックを取り除くことのほうが大事です。これが細菌とのたたかいなのです。
歯ぐきが物語る口の中の衛生
その後、何回か通院した後Aさんの歯は、だいぶキレイになりました。歯ぐきもピンク色に変わり、歯ぐきの先端がシャープに見えます。歯をキレイに磨くことによって、Aさんは、何んとなく自信もわいてきたようです。歯がキレイになると性格まで変わるものです。それでも細菌とのたたかいを怠けたりすると、またもとの汚れた口に戻ってしまいます。このたたかいは、一生続けなければなりません。
そのため、鎌田歯科室では治療後六ヵ月ごとに患者さんの口の中のチェックが行なわれています。そのとき、例の染色剤を使って、プラックを染め出し、調べます。この定期診査は、ムシ歯を発見するためのものではなく、患者さんが細菌とのたたかいをしているかどうかをチェックするのが目的といってもよいでしょう。そして何より、口の手入れが行き届いている人は、歯ぐきがピンク色で、先端がシャープに引き締まって見えます。魅力的な笑顔は、口の衛生のシンボルなのです。
患者と歯科医の協力が大事
ずっと以前に治療してかぶせてもらった部分にブラックが付きやすく、なかなかとれないことがあります。フロスを使ってその部分をこすると、時々、糸がひっかかって切れてしまうのです。実は、その部分の隣の歯がムシ歯になり、あわてて当院を訪ねたのですが、事実、どうも食べカスやプラックがたまりやすいようです。
これは歯科医としても反省しないといけないところです。治療してかぶせたところが歯にピッタリ合っていないので、そこにプラックが付着しやすいのです。ブラシを使っても上手に磨けませんから、その部分がまたムシ歯に侵されたりします。こんなことだと、かえってかぶせないほうがムシ歯予防にはよい、ということになりかねません。
歯にピッタリと合っており、すき間がまったくないような治療をしていかないと、ムシ歯や歯槽膿漏を完全に追放することはできません。このように歯科医が歯の穴につめたりかぶせたりするとき、やはり細菌とたたかっています。そのために、歯にピッタリ合った冠を作る精密な技術が必要になります。
歯にフィットしていない治療は、単なる異物にしかすぎません。しかし、すぐれた治療は、つめたりかぶせたものが、「物」ではなくなり、臓器となるのです。それが本当に医療の名に価する歯科治療だと思います。
歯の治療の第一の目的は、ブラックがたまらない状態にすること、また、患者さんがプラックを取り除きやすい環境を作ることです。もちろん咬めないような状態では困りますが、「咬めること」というのは、その次の問題にしかすぎません。痛いからというので、痛みを止め、咬めないからというので、ともかくつめたりかぶせたりするようなツギハギだらけの治療では、いつまでたってもムシ歯や歯槽膿漏を退治することは不可能です。そうであるなら、たとえ百万円の金をつめても、一文の値打もありません。
私たち歯科医は、治療よりも先に、その病気が起こった原因の究明にとりかかります。予防訓練が行なわれ、患者さんが日常完全にとり入れることができるなら、健康な歯と歯ぐきを手に入れることができます。また、それらの病気の進行を止めることがきます。それが患者と歯科医の管理のもとに行なわれ、教育と社会的なフォローアップによって歯が大切にされるならば、32本の歯を一生もたせることが可能となります。口の中の小さな戦場ですが、細菌とのたたかいに勝つためには、患者と歯科医とが協力して、努力していかないといけないのです。
